頑張れと言われるのが苦痛だった自分がオリンピックを機会に考えてみた

ピョンチャンオリンピック フィギュアスケート男子シングルで羽生選手が金メダル、宇野選手が銀メダル獲得しましたね。おめでとうございます!
画面越しに観てたのに彼らの演技には鳥肌が立ちましたし、涙が出てきました。
お芝居は世界一とか決められるものではないけど、自分も自分で精一杯正しい努力を重ねて、見る人の心を震わせられるように頑張らねばと思いました。
さて、オリンピックとなるとよく耳にする言葉があります。
日本人なら脳内再生できるほど言われてきた言葉。そして、浴びせるほど口にしてきた言葉。
「頑張れ」です。
すごく不思議な言葉ですよね。
言うにしても言われるにしても、相手との関係性、言われた時のこちらの心理状態、身体状態によって受け取り方は全然違います。
少なくとも以前の僕はそうでした。
苦痛でしょうがなかった。腹の中では「あんたに何が分かるんだ!?」と思ってましたからね。笑
今では全く受け取り方が変わりましたけど。
「頑張れ」って言う時の思いは?言われたら時の思いは?
例えば「頑張れ」って言われた時、どんな反応をしますか?どう思いますか?
「はぁ!?これ以上何をやれっていうんだ?!(怒)」
でしょうか?それとも
「うっっしゃ!心折れそうになってたけど、まだまだやるわ♪(嬉)」
ですか?今度は逆を考えてみます。
「頑張れ」を口にする時はどんな思いを込めた時でしょうか?
「全然努力の量が足りねーよ!もっとやれ!(怒)」
ですか?それとも
「今までの努力の数々は知ってるから、それを信じて精一杯やって♪(励)」
どちらに近いでしょう?少なくとも僕は、時と場合そして相手によって違ってました。
「頑張れ」の一言に隠された思いに対する超私的考察
オリンピックやワールドカップに出場する選手は、想像も及ばないほど「頑張れ」「頑張って」と言われてきているはずです。
でも、「うるせー!お前に何が分かるんじゃ!?」と返した人を知りません。
体裁のためにそう言わなかったのか?違うと思います。
僕以上に「頑張れ」を言われ、「頑張れ」を言ってきた彼らは「頑張れ」の正体を知っているのではないかと思うわけです。
で、ここからが僕の超私的考察です。
自分も含めて「頑張れ」を言う人の根底にあるのは
「応援してるよ」というエール
ではないかということです。
そして、「頑張れ」と言われた時にあるのは
「ありがとう」という感謝
ではないかということです。
誰かに「頑張れ」をいう時って、相手にいい結果を手にしてほしい時じゃないですか?
「頑張れ」と言ってしまう相手はたいてい自分よりその道に通じている人です。
その人が思いあぐねていることに対して、理解を示しなおかつプラスになる具体的な言葉も持ち合わせていることってありますか?
でも、そんな相手に今の困難(と思える状態)を乗り越えてほしい、そんな時につい出てしまう気がします。
アドバイスできない歯がゆさも加味されるから「応援してます」ともちょっと違うじゃないですか?それもあって自然と「頑張れ」と言うようになった気がします。
ここまでのことを考えると「頑張れ」と言われた時は「ありがとう」という気持ちになるのは不自然でしょうか?
「はぁ!?これ以上何をやれっていうんだ?!(怒)」って思う時はありがとうって思ってるわけ無いだろとツッコまれそうですが、やっぱりありがとうじゃないですか?
だって、相手の気持ちに応えたいから、良い成果を上げたくてあがいてるわけでしょ?
でも、自分ではそのための具体的な手段が分からなくて怒ってしまう。。。
そもそも、どうでもいい人から「頑張れ」って言われて怒ります?逆にどうでもいい人に「頑張れ」って言います?
やっぱり根底には言われて嬉しいし応えたい「ありがとう」って感謝がある気がします。
最後に
こんなふうに分析(?)すると「頑張れ」って言葉は実に日本語らしい言葉だなと思ってしまうわけです。奥ゆかしいというか。
いつか僕はあなたに言う時があるかもしれません。
その時、あなたはとても大変な状況かもしれません。息苦しい状況かもしれません。
力になれない自分を歯がゆく思いつつも、少しでも力になりたくて、応援したくて、僕は言うでしょう。
頑張れ